甲骨文字-2

更新日:2020年08月15日
左から王懿栄、劉鶚、羅振玉、王国維
 さらに著名学者であった羅振玉[同治5年(1966)6月28日〜康徳7年(1940)6月19日 ]とその娘婿である王国維[光緒3年(1877)10月29日〜民国16年(1927)6月2日 ]は1911年、「龍骨」が出土する河南省安陽の小屯村の発掘を始め、甲骨文字研究を進めた王国維は、甲骨文字に現れる王名が『史記』殷本紀などにある殷の歴代王名と一致することを証明し、殷王朝の実在が明らかになったのです。甲骨文字は金石学者や古代文物蒐集家に注目され、学問的価値がより一層、高まることとなりました。
 甲骨は現在まで殷墟から16万枚以上の出土しているのですが、1928年に始まった殷墟の本格的発掘調査が、さらに1937年以後は国立中央研究院歴史語言研究所によって組織的な考古学的発掘調査が行われ、これまでに4,500字以上が発見されるなど飛躍的に解読が進みました。
 2006年、殷墟はユネスコ世界遺産に登録されました。そして殷墟以外の地域で1950年、殷墟以前の甲骨が河南省鄭州市から発見され、さらに1949年以後には山西省、北京市、陜西省などで西周時代の甲骨が発見されました。
 この結果、甲骨文は殷代特有のものではないことが明らかになったのですが、さらに1977年には陝西省岐山県周原遺跡から西周時代の卜辞の刻された甲骨が約300片、発見されています。今後とも中国大陸から多くの文物が出土するとともに、甲骨文字の実体が明らかにされていくと思われます。
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