西★印社-1

更新日:2017年10月01日
西★四君子と呉昌碩
 先年10月、西★印社と日本篆刻家協会主催の「西★四君子」展開幕式に参加しました。西★の★は「冷」と間違われやすいのですが「にすい」ではなく「さんずい」で、中国語の発音も冷「Lang」と★「ling」、全く違います。
西★印社は中山公園の西方に位置し、主な建築は、竹閣、柏堂などで構成されているのですが、竹閣は唐代の詩人・白楽天が建てたと言われており、西湖で遊ぶとき、多くの文人は決まって竹閣で休憩したそうです。
敷地内は江南様式を参考にした庭園で、最上部から見渡せる西湖は素晴らしい眺望です。「西★」の社名は「西★橋」の対岸の袂に本社があることからの命名です。その西★四君子とは、西★印社創始者四人を指し、丁仁(輔之)、王提(福庵)、葉銘(葉舟)、呉隠(葉舟)のことです。彼らが卓越した存在となっていた清朝末期時代、書画篆刻界をさらに強固な組織にするべく、
  「金石を保存し、印学を研究す」
を趣旨とした印社結成について協議を重ねました。そして清朝光緒30年(1904年)に設立準備を始め、1913年秋、10年間の計画・準備期間を経て、ついに結社総会を招集しました。結社総会の日、国内海外の篆刻家が西湖・孤山に集い、初代社長に呉昌碩が推挙されたのです。
 西★印社が日中近代文化交流史において多大な功績を残したことは、次の事実からも理解できます。西★印社早期に日本人として参加した河井☆廬は、四君子と対面した翌年の1906年、印社初の編集による『西★印社記』を著したこと、また1913年、日中共同で大正己丑蘭亭会が開催されるなど、印社早創期よりすでに国際的活動と立場になっていました。さらに1921年、日本の彫刻家・朝倉文夫が銅製の呉昌碩像を贈り、呉昌碩が西★印社に保管させたことも知られています。残念ながら、文化大革命でこの銅像は破壊されてしまいましたが、この頃からすでに西★印社と日本の篆刻界が強い結びつきを持って活動してきたのです。
 次号では印社設立後の区切りとなる10年に一度、開催されてきた企画展と、西★印社の見どころについてご紹介します。
 
    作字「★」:さんずい編+「令」
    作字「☆」:草冠+「全」
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