初代皇帝・始皇帝-1

更新日:2018年08月01日
右上から「始皇帝陵」、「阿房宮(跡)」、「兵馬俑」、「万里の長城」
 中国の歴史はもちろん、世界史においても一度は耳にする名前「始皇帝」は、中国が約550年にも及ぶ群雄割拠の春秋・戦国時代に終止符を打ち、初めて全土を統一し、中国初代皇帝として始皇帝を名乗った人物です。
彼が行った画期的な政治改革は、郡県制導入による中央集権化、度量衡、漢字書体の統一などが有名ですが、彼の人間としてのスケールの大きさは、就任間もなく都の咸陽(現・西安)を整備し、自らの陵墓建設に取り掛かったこと、美女を3,000人集めたという巨大な阿房宮、そして北方の匈奴や遊牧民族に対抗するべく万里の長城の建設に取り組んだこと、さらに後に始皇帝陵と1974年に発見された兵馬俑の建設など大土木工事を行ったことでしょう。
 さらに自分への批判を封じ込めるべく焚書・坑儒を行いました。焚書とは、紀元前213年、民間人が所持する書経・詩経・諸子百家などの書物を没収し、焼き払ったことです。坑儒とは、紀元前212年、始皇帝の命により儒者を生きたまま穴埋めにした行為で、これら焚書坑儒によって強権的政治力を一層、強くしました。この焚書坑儒は始皇帝の残虐さを示す象徴と語り継がれています。しかしながら、始皇帝が焚書坑儒を行った真の目的は、詐術で人心を惑わす思想や文化を一掃し、悪行を天下に知れ渡るようにして、後世の戒めに正統な文化を後世に語り継がせるという、逆に大きな功績であったとする説もあります。
 また、坑儒についても、始皇帝は不老不死の術や卜筮、呪術などを行う方士が、君臣の礼儀をわきまえず、君主を欺いた行為に対して行ったとされています。
次号では絶対君主の末路と、秦滅亡についてお話ししたいと思います。
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