中国1950年代の版画招貼(ポスター)-1

更新日:2019年11月01日
筆者所蔵の文革前のポスター
 1930年代の中国建国前、中国政府は重要な広告芸術の形式として、中国人民を特定の思想・世論・意識・行動へ誘導するために、意図を持った「プロパガンダ(propaganda)ポスター」を制作し始めました。なかでも政策、方針、措置の宣伝を目的としたプロパガンダポスターは、新中国成立以後、国家提唱と指示として目覚ましく発展し、政治文化を人民に普及させる重要なツールとなりました。世界中でも同様のプロパガンダが作られましたが、中国で最盛期を迎えたのは文革前の1950年頃で、共産主義と資本主義を軸とした冷戦のピークの頃でした。政治イデオロギーを芸術創作として制作するために表現されたのが版画、後にオフセット印刷として非常に精巧に表現されました。
 1949年10月1日に新中国成立すると、世界的冷戦と国内の現実に直面するようになり、伝統的権威を合法性のあるイデオロギーとして、その効果を非常に意識したポスターが生み出されました。政治スローガンを人民思想や社会生活に浸透させ、政権を強固なものにする目的があった訳です。そのためポスターは一段と重要となり、「党における宣伝激励工作の言葉と武器」となりました。中国共産党がどのようにして政治教育と政策宣伝のツールとしてポスターを重点的に選んだのかについては、当時の中国の国内外の状況と重要な関係が考えられます。改革解放前は、前華東分院と中央美術学院の絵画系において年環画、宣伝画などの人材育成が中心で、国画や西洋画などの人材を育てる余裕はなかったと思われます。
 1961年以降、革命博物館、国家博物館などの博物館が建設されましたが、国そのものが疲弊していましたから、生存問題の解決が急務でした。特に当時の中国では農村部は非常に貧しく、せめて新年のときこそは明るく派手な年画を飾るため、春節前に美術館で展示される『新年画』という名前の原画を買い求めたようです。古くは木版画で物語や縁起物を題材として製作されていましたが、1949年以降はオフセット印刷で大量に作られるようになり、題材も政府のスローガンや、当時流行の風物など大量の年画が必要となりました。
 次号ではプロパガンダポスターによって人民の意識が極端な方向へ誘導された事実と、実際のポスターについてご説明したいと思います。
←前へ 目次