玉蝉-1

更新日:2025年05月01日
玉蝉と翡翠蝉、蘇軾‐前赤壁賦「羽化登仙」

●玉蝉と翡翠蝉、蘇軾‐前赤壁賦「羽化登仙」

 写真は、玉に蝉の形を彫刻した副葬品「玉蝉(ぎょくせん)」です。古代中国では、権力者を埋葬するとき、これを口に含ませて(?蝉:かんぜん)納棺していました。不老不死の効能があると信じられていた玉に霊力や徳が具わるとする信仰がその根底にあります。蝉の形をした翡翠蝉もあるのですが、こちらは新石器時代には登場し、殷王朝の紅山文化、良渚文化、石家河文化などの遺跡から大量に出土、そして戦国時代にかけての墓でもしばしば発掘されています。

 死者の九塞孔玉(九竅とも)、つまり九つの穴である両眼、両耳、両鼻孔、口、前陰、後陰に副葬品として玉を入れました。玉には呪術的信仰があり、玉が肉体腐敗を防ぐと考えられていたからです。余談ですが、中医薬学理論体系の重要な構成である経路学説には、人体を「五臓六腑」、「四肢百骸」、「五官九竅」などに分類され、それぞれの臓器は異なった生理機能を持ち、相互に作用しあい 連係することで様々な生理機能のバランスを維持するとしています。

 さて、蝉は長期間、土中で幼虫として過ごし、やがて成虫になり、羽を備えて完全に生まれ変わったかのように孵化(羽化)します。古代の人々は孵化に死から再生する姿を見て取ったのです。「蘇軾‐前赤壁賦」に「飄飄乎如遺世独立、羽化而登仙(飄飄乎として世を遺れて独り立ち 羽化して登仙するが如し)」がありますが、これは古代中国の神仙思想で、仙人となって羽が生え、仙界に登ること。また、酒に酔って良い気分になることで、ここから「羽化登仙」という言葉が生まれました。

 次号では筆者が台北故宮博物院で見てきた玉の最高傑作芸術品「翠玉白菜」と「肉形石」が東京国立博物館で特別展示されたとき、一般人が誰も興味を示さなかったおかげで蘇軾「行書黄州寒食詩巻」をじっくり鑑賞出来た思い出についてお話しします。

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