寒山寺と楓橋夜泊-2

更新日:2017年07月15日
筆者蔵「寒山と拾得」と「楓橋夜泊」の拓本
 寒山寺は寒山拾得の故事でも知られています。寒山と拾得はともに生卒年不詳ですが唐代の脱俗的人物として知られています。寒山は始豊県(天台)西方70里の寒巌幽窟を居所としたため寒山と呼ばれ、その風姿は痩せこけ、樺の冠をかむり、衣はボロ、大きな木靴を履いた奇矯だったそうです。
 拾得は天台山国清寺の豊干に拾い養われたことから拾得と称し、国清寺の行者となりました。「寒山拾得」を「和合二仙」または「和合二聖」とも称されますが、両者とも詩作をよくしました。
 しかし、あまりにも風変わりだったため、後世の人によって特別視され、寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の化身とする説さえ生まれました。寒山と拾得はともに禅画の画題として有髪で表現され、寒山は巻物を持った姿で、拾得は箒を持った姿で描かれています。
 詩中で表現される「寒山寺」は実は固有名詞でなく、「晩秋の寒山にある寒々とした山寺」が正しいようで、実際には張継が太湖近くの松江で舟泊した際、付近の山寺の鐘の音を聴いて詠んだもので、無関係の楓橋・寒山寺を付会した後世の人による解釈のようです。 寒山寺と言えば、明代の「三絶」と称された蘇州の文人・文徴明(1470〜1559)が揮毫した「楓橋夜泊」石碑があり、明・清代に多くの人々がその拓本を買い求めました。しかし、あまりに採拓を繰り返したため碑面が磨滅したので、清末・光緒年間に書画家・兪樾(1821〜1906)が翻刻碑として改刻し境内に保管されています。
 図版の「寒山と拾得」と「楓橋夜泊」の拓本は比較的早期に拓られたと思われる筆者蒐集の旧拓善本です。
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