愛新覚羅溥儀の腕時計

更新日:2024年05月01日
(上)溥儀が満州国で暮らす間、毎日身に着けていたパテックフィリップ製腕時計 (下)競売会社フィリップス・アジア新本部で行われたオークション
 中国・清朝最後の皇帝で、映画「ラストエンペラー」で描かれた愛新覚羅溥儀がかつて所有した腕時計がニューヨーク、シンガポール、ロンドン、台北、ジュネーブでの下見会としての展示を行った後、香港西九龍文化地区にある競売会社フィリップス・アジア新本部で競売に掛けられました。
 落札予想価格は2,500万香港ドル(約4億4,200万円)でしたが、約7分間の激しい入札合戦となり、それを大幅に上回る4,000万香港ドル(約7億円)、手数料を含めると4,885万香港ドル(約8億6,400万円)で落札されました。落札したのは香港在住のアジア人収集家だったそうです。
  溥儀[光32年1月14日(1906年2月7日)
  〜1967年10月17日]、字は耀之、号は浩然。
  1908年に2歳で清朝第12代皇帝・宣統帝に
  即位、12年に辛亥革命で退位。32年に日本
  の傀儡国家「満州国」の執政、34年に皇帝
  となった。45年の第二次世界大戦で日本が
    敗れると、溥儀はソ連軍に捕らえられ、5年
  間、戦争捕虜として強制収容所に抑留され
  た。その後は中国へ戦犯として引き渡され
  撫順・ハルピンなど戦犯収容所に収容、戦
  争犯罪の裁判を受けるも、1959年12月4日、
  当時の国家主席劉少奇の出した戦争犯罪人
  に対する特赦令により12月9日に模範囚とし
  て特赦された。その後一民間人として北京
  で生活するも67年に腎臓がんで死去、61歳。
 この時計はスイスの高級時計メーカー・パテックフィリップ製の腕時計「Ref 96 Quantieme Lune」と呼ばれるモデルで、文字盤の上部に太陰周期を表示する機能がついた、世界にわずかか八個しか存在しない希少性の高い時計です。
 次号ではこの希少価値の高い愛新覚羅溥儀が所有した腕時計を、どのやって世界中のコレクターの心理を集めさせたのか、そして来日した国賓・溥儀の扱いについて、当時の資料を基にご紹介します。
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