「詩」と「詞」-2

更新日:2024年10月15日
李清照紀念堂(済南市)と李清照像(清代崔錯画)

●李清照紀念堂(済南市)と李清照像(清代崔錯画)

 宋代を代表する詞の名人と言えば北宋末期・南宋初期の女流詞人・李清照(1084〜1155)が筆頭に挙げられます。中国文化史において女性が表面に出ることは少なく、誰でも知っている女性と言えば、権力を欲しいままにした武則天や西太后、逆に権力に弄ばれた王昭君や楊貴妃くらいでしょうか。李清照は斉州章丘県(現・山東省済南市章丘区)に生まれ、自ら易安居士と号しました。18歳で当時太学生徒(大学生)であった3歳年上の趙明誠と結婚しますが、本や古器物をこよなく愛した二人は、衣類を質に入れても気に入った本を購入するほどの蔵書家で、後に清照は趙明誠の『金石録』を編纂するようになりました。当時の大学施設は充実していましたが、殆どの学生は大学には行かず、塾に通うか家庭教師を雇い、ひたすら科挙に合格するためだけの勉強をしていました。そこで嘉祐三年(一〇五八)、政治改革を訴える上奏文を出した王安石[天禧5年11月12日(1021年12月18日)〜元祐元年4月6日(1086年5月21日)]は、教育改革として科挙を受験していない優秀な大学生を官吏に任用しました。そして趙明誠は一二世紀の初め、すぐれた書道家である画家でもあった徽宗皇帝の時代に官吏に登用され、都の開封に上りました。やがて趙明誠は各地に知事として赴任するようになり、夫婦は別居しますが、李清照は趙明誠に多くの詞を送っています。
 原田憲雄著「魅惑の詩人 李清照」 (朋友書店)より、李清照最晩年の詞「声声慢」を紹介します。

  満地黄花堆積    地に満ちてさきし 黄菊も

  憔悴損       おとろふる

  如今誰★摘(★りっしんべん+欠)     いま たれありて 摘みなむや

  守著窓児      窓辺に ながめ

  独自怎生得黒    ひとりみの 夜の闇 まつに

  梧桐更兼細雨    あをぎりに 小雨かかりて

  至黄昏       たそがれを

  点点滴滴      ほとほとと しとしとと

  這次第       このこころ

  怎一個       愁いたし

  愁字了得      といひてやむべき

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