程君房と方于魯-2

更新日:2015年03月03日
程氏墨苑(左)と方氏墨譜
ところが方于魯が「方氏墨譜」を表したとき、程君房は自らが考案した墨型に刻した図柄「墨図」を盗用したと激怒、対抗意識をむき出しにして「程氏墨苑」の大著を著しました。
 さらに方于魯は、程君房の愛妾を略奪して結婚してしまいました。程君房にしてみれば、困った弟子を助け、自分が研究した秘伝の製墨法を伝授してやったのに、独立されるは、デザインを盗用した墨譜を出版されるは、なんと奥さんまで奪われるは、「言語道断な輩」としか思えないでしょう。私的なことはともかく、現代なら知的所有権に関しては法的に保護されますが、当時の中国ならではの何ともひどい話です。
 いい材料と製墨技術に優れた職人が作った古墨は、まず、ずっしりとした重さの存在感、美しい墨色で、筆が暢びて書き心地よく、筆跡と滲みの差が乾くと鮮明になると言われます。 これはいいものを手にしてきた経験がないと感じることの出来ないものですが、名墨・古墨には倣古墨が多いので、くれぐれも注意したいものです。
 我が国に墨が伝わったのは、記録上、最古の証拠となる『日本書紀』によると、「推古天皇の18年(610)、高麗僧曇徴が来朝して伝えた」とされ、曇微が持参したその松煙墨を使って、聖徳太子が 『法華経義疎 』を書いたとされています。
その後、菅原道真の遺唐使廃止進言、日本独自の仮名文字の発展、繊細な線質や墨色に対する要望、そして書き手や墨匠の創意工夫で日本墨文化に独自の文化が形成されたのは周知のところですが、非常に興味深いところです。
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