掃墓(お墓参り)-1

更新日:2015年04月01日
于右任肖像と弊社刊「于右任草書般若心経」
 一昨年、弊社が刊行した「于右任草書般若心経」は、于右任晩年(1879年4月11日〜1964年11月10日)75歳のときに書かれたものですが、昨年、没後50年を迎え様々な展覧会や式典も行われました。筆者はそれに先駆け、台湾新北市陽明山国家公園内にある于右任のお墓参りに行ってきました。
  于右任、中華民国の官僚・書家。生まれは
  清・陝西省西安府三原県、名は伯循、字は
  右任。日本留学中、孫文と出会って中国同
  盟会に入り、帰国後『民立報』を経営・
  執筆するなど中国民主革命の先駆者として
  活躍した。
 于右任は1903年(光緒29年)、科挙に合格しますが、翌年、清朝政治を風刺した『半哭半笑楼詩集』を発刊して指名手配を受け上海に隠棲しました。1922年(民国11年)5月、葉楚★(人偏+倉1887年10月14日〜1946年2月15日)とともに国立上海大学を創設しました。しかし1948年(民国37年)副総統選に破れ、その翌年、国民党政府軍が敗退するとともに大陸から台湾に逃れました。
 書道家としての側面から于右任を振り返ってみると、彼は上海時代に書画を蒐集、西安時代には墓誌銘を蒐集して西安碑林博物館に寄贈、さらに王羲之を習い、金石学を研究、とりわけ余暇を草書研究に費やしたその書風は「于体草書」と呼ばれ、万人の心を打ちました。死去するまで国民党政府監察院院長という枢要地位に30数年間、就いていました。そして草書の線に「勁さとしなやかさ」を加えた独自の「標準草書」を創り草聖とまで呼ばれますが、この書体は後に大陸簡体字の原型となりました。
 次号では、いよいよ小生が于右任のお墓参りをした模様をお話します。
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