青銅器全形拓-1

更新日:2019年06月01日
毛公鼎(台北故宮博物院蔵)と史牆盤(周原博物館蔵)の、それぞれ器物と全形拓
 青銅器拓本の歴史を振り返ってみますと、金石学が盛んになり始めた宋代から、20世紀初期に撮影技術が普及するまでの間、青銅器の形を表すには模写が主流でした。それを拓本と表装技術によってより実物に近い形で表わそうとしたのが「全形拓本」です。
 伝世青銅器拓本に優雅で精密な全形拓本は別に「立体拓本」、「図形拓本」と呼ばれます。その採拓技法は、清代中期以降に流行した拓本紙にデッサン、絵画、拓本、切り紙などを統合し、立体器物を見た目通り立体的、原寸大の拓本に仕立てる複雑怪奇な方法です。巧みな技能や細かい作業、さらに時間を必要とする青銅器全形拓本は、美術品としてはもちろん、学術的にも注目されていますが、その技術が口伝であったため、殆ど伝承されず、最近はほとんど見かけなくなりました。
 清朝末期の一官史に丁麟年(1870〜1930)という青銅器全形拓蒐集家がいます。自ら遺した『丁麟年書翰』に「所収金石拓本約3,000枚の他、全形拓約700余」とあるように、大いなる蒐集を自負しています。同じく金石拓本蒐集であった王懿榮(1845〜1900)は1900年の義和団事件で殉職、1911年の辛亥革命で殺害された端方(1861〜 1911)のように、丁麟年は命を落とすまではありませんでしたが、それでも辛亥革命の際にその蒐集品の殆どを失うという悲劇に遭っています。
 幸いにも丁麟年の蒐集品は1931に『日照丁氏蔵器目』として、1941年に『★(木偏+多)林館吉金圖識』、1985から10年かけて『殷周金文集成(中国社会科学院考古研究所編』という形で公刊されています。
 清朝金石学の代表的人物に陳介祺(1813〜1884)がいます。陝西岐山に出土した32行479字という古代銅器で最も長文の銘文を持つ毛公鼎を手に入れた人物です。毛公鼎は西周晩期研究の重要史料として一時期、行方が分からなくなりましたが、現在は国立台湾故宮博物院に収蔵されています。彼が蒐集した青銅器の全形拓本は商周、秦漢時期の30種173点あり、それらは1992年に中国文化遺産研究院に寄贈されています。
 次号ではその他の収蔵先のご紹介と、実際の全形拓の方法についてもお話ししたいと思います。
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