陳 介祺-1

更新日:2020年05月01日
左から陳介祺、弊社刊「★(簠)斎古陶文選」と陶文原拓、十鐘山房と萬印楼
 陳介祺[嘉慶18年(1813年)〜光緒10年(1884年)]、字は寿卿または酉生、号は伯潜。清の金石学者。 山東省☆(さんずい+維県出身で、父は嘉慶13年の進士、工部、兵部、礼部、吏部の各尚書を歴任した陳官俊で、道光帝の勉学の師を勤めた政界の大人物です。
 幼少から学問を好み、父に従って北京で学問を修め、金石学界で名を知られた阮元(1764〜1849)に出会い、その益を受けてからは金石や古代文字を本格的に学び、やがて広く文名が知られるようになりました。道光15年(1835)に挙人、道光25年(1845)には33歳で進士合格、成績優秀で翰林院編修となりました。
 しかし咸豊4年(1854)、42歳のときに9年間の官僚生活を辞し、故郷の☆県に帰りました。エリート官僚であった陳介祺は以後、任官することはありませんでしたが、これには道光29年に政界重鎮である協辨大学士にまで登りつめた父陳官俊の病死が大きく影響していると思われます。
 いずれにしても彼が旺盛な蒐集と学術的研究に目覚めるのは官を辞して帰郷したこの頃からです。蒐集品に関連しますが、陳介祺の号「★(竹冠+甫+皿)斎」は青銅器の★を得たことからで、居室を「宝★斎」と名付け、以後、★斎と号しました。さらに蒐集品に応じて十鐘山房、萬印楼などとも称しました。そして毛公鼎を入手するなどして金石学研究に打ち込みました。
 金石研究に関しては潘祖蔭、呉大澂らとも文化交流し、「南潘北陳」と称されました。特に目覚ましい研究は戦国時代の陶文を得たことであり、李学勤「山東陶文的発現和著録(斉魯学刊)」に詳しく紹介されています。また、鄭超「戦国秦漢陶文研究概述(古文字研究)」によると、同治11年(1872)に、陳介祺が発表した短い跋文が陶文に関する最初の研究発表であると言われています。
 因みに2006年に弊社が刊行した今井凌雪監修、中村伸夫編著「★斎蔵古陶文選」はその後の発展研究で、古陶文拓本457点(戦国陶文363点、秦漢陶文94点)を、時代(戦国・秦漢)、官営・民間製作、出土地等に分類整理し、原色原寸で紹介しました。巻末の中村氏による解説は、陳介祺を様々な観点から紹介し、過去の関連文献の紹介、書道史上陶文の果たした役割などがあり、我が国唯一の古陶文研究書です。
 次号では陳介祺のコレクションの内容と、彼が著した古印研究の王様とも称される「十鐘山房印挙」についても触れておきたいと思います。
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