都合-2

更新日:2020年06月15日
平家物語 巻第七「都合其勢七万騎」
 その曹丕が家臣の呉質に与えた書「与呉質書」に
  頃撰其遺文 都為一集
  頃其の遺文を撰し、都一集に為し。
  觀其姓名 已為鬼★(口+馬)
  その姓名をみると、すべては没した人のものだ。
とあります。ここで使われる「都合」はすべて合わせて、つまり合計という意味です。
 日本でこの意味で用いられたのは『平家物語 巻第七』に「都合其勢七万騎」とあり、「都合」が「すべて」という用例があります。現代日本では自らの意思で会社を退職する、「一身上の都合により」と記載するのが一般的で、労働基準法上においても退職理由の申告義務はありません。
 脱線しますが、古くは江戸時代にも「一身上の都合」という意味の言葉が使われていました。それは現代でも使われる「三行半突きつける」で、江戸時代においては離婚届でした。江戸時代の「三行半」は夫から妻に向けての文書で、内容は主に離婚の「理由、宣言、再婚許可」の三点、すなわち「全部」でした。しかし、日本では次第に「都」の使い方は異なる意味が一般的となりました。『広辞苑』ではやはり「都」はすべての意としていますが、現代人はご存知ないでしょう。
 さて、曹丕は評価の高い父・曹操に比べると得体のしれない人物ではありますが、その政権の安定ぶりと有能な人材をうまく使っていたようであり、中国史上でもかなり有能な皇帝の一人と言えそうです。曹丕の才能が最も発揮されたのは文章で、著作『典論(全五巻一〇〇篇)』は現代でいえば「文章論」となります。
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