鍾馗(しょうき)-2

更新日:2021年05月15日
国宝『辟邪絵(奈良国立博物館蔵)』
 要約すると、玄宗皇帝が瘧(おこり:マラリアのこと)にかかり高熱のなかで夢を見ます。宮廷内で「虚」、「耗」という小鬼が悪戯をし、玄宗の玉笛と楊貴妃の香り袋を盗もうとして玄宗を苦しめます。するとどこからともなく現れた破帽を被り、青藍色の上着に角帯を締め、朝靴を履いた巨大な鬼が難なく小鬼を捕らえて食べて退治します。玄宗が大鬼に正体を尋ねると、
  「臣(私)は終南県出身の鍾馗という。
  武徳年間(618〜626)に官吏になるため
  科挙を受験したが落第し、そのことを
  恥じて宮中で命を落としたが高祖皇帝は
  自分を手厚く葬ってくれたので、その恩
  に報いるために臣は天下の虚妄や妖怪を
  平らげて国を安らかにするためにやって
  きた」
と答えました。
 玄宗は鍾馗が夢に現れてまもなく病が治ったことから、著名宮廷画家で「唐朝第一」と称賛された呉道玄(生没年不詳)に夢に現れた鍾馗を描かせ、悪疫除けとして祀るようにしました。宋代になると年末の大儺にも貼られるようになり、17世紀の明代末期から清代初期になると端午の節句に厄除けとして鍾馗図を家々に飾る風習が生まれました。
 日本に鍾馗が伝わった経緯は不明ですが古くから広く信仰されたようです。最も古い鍾馗図は平安時代末期の国宝「辟邪絵(奈良国立博物館蔵)」に見られます。室町時代以降は漢画の画題として多くの絵師に好まれましたが、疱瘡除けや学業成就にも効があるとされ、端午の節句に絵や人形を作って奉納しています。
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