明末の快楽主義者-2

更新日:2021年12月15日
張岱肖像画と張岱書法
 万暦中期以降、このような政情不安をよそに文化や商業は繁栄し、空前の盛況を迎えました。こうなると、科挙に合格して高級官僚になることこそが人生の最大目標であった士大夫知識人たちにも意識の変化が見られるようになり、自らの快楽的な人生を模索するようになっていきました。そして大量に出現した明末快楽主義者の   
  張岱、字は宗子、一字は石公、号は陶庵、
  また蝶庵居士とも号した。
 彼は浙江山陰(現浙江省紹興市)の名家出身で、字を景山、本貫を呉郡呉県としました。高祖父の張天復、曾祖父の張元★(さんずい偏+、+下)、祖父の張汝霖と三代続いた進士(科挙合格者)として活躍しました。当然,張氏一族には莫大な資産を築きました。
 まず本拠のある紹興には★(石偏+介)園、天鏡園、不二斎など、10を超える亭(あずまや)を有する庭園を所有、杭州の風光明媚な西湖のほとりにも寄園なる園庭を所有、さらにお抱えの劇団に三万巻を超える蔵書をもつなど、当時「最高の文化的環境」を誇りました。そして張家四代目となる張岱の父・張燿芳は、どうしても科挙に合格出来ず、ついにノイローゼになり晩年は奇人扱いされました。
 そんな父を見てきた張岱は、一度も科挙を受験せず、ご先祖の莫大なる財産背景にもっぱら趣味に明け暮れる人生を過ごしました。そして明朝瓦解(1644年)後の晩年に当たる七四歳の時に「自為墓誌名」の冒頭に、快楽主義者として生きた自らの前半生を振り返っています。
  少為★(糸偏+丸)★(糸偏+夸)子弟,
  極愛繁華,好精舍,好美婢,好孌童,
  好鮮衣,好美食,好駿馬,好華燈,好
  煙火,好梨園,好鼓吹,好古董,好花
  鳥,兼以茶淫橘虐,書蠹詩魔,勞碌半
  生,皆成夢幻。
  少くして★(糸偏+丸)★(糸偏+夸)子弟たり。極めて
  繁華を愛した。精舎を好み、美婢
  を好み、★(辧+文)童を好み、鮮
  衣を好み、美食を好み、駿馬を好み、
  華灯を好み、煙火(はなび:花火)
  を好み、梨園を好み、鼓吹を好み、
  骨董を好み、花鳥を好み、かてて
  加えて茶淫であり、橘虐であり、
  書蠹であり、詩魔であり、ついに
  うかうかと半生を過ごし、すべて
  は夢まぼろしとなってしまった。
 ったく、なんというお気楽な人間なんだろう。
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