君子豹変、小人革面-2

更新日:2023年05月15日
我が国の国会議員、本当の君子はいるのでしょうか。
 現代社会に当てはめてみた場合、「君子は豹変する」という教えは、揺れ動いて新しい解釈を持ち、応用範囲が広く変化するようになったようです。現代社会は価値観の多様化が特徴の一つであり、さらには価値基準の変革もあるのではないでしょうか。しかし、唐突に考えや態度を変える人間は信頼出来ません。また平気で元に戻すかもしれないからです。
 孔子(前五552〜前479)は論語『里仁』のなかで「子曰、朝聞道、夕死可矣」、つまり「朝に真理を悟ることが出来たなら、その日の夕方に死んだとしても心残りはない」と説きました。魏の王弼は政治的な解釈を説き、大人は天子・諸侯は虎を指し、君子はその下の身分の士大夫はそれより小型の豹としました。天子の改革が士大夫の変革をもたらし、小人(=被支配者)は従うだけという解釈をしました。宋の朱子は「聖人の感化は君子に及ぶものの、小人は態度を表面的に変えるだけ」という道義的解釈をしました。
 現代社会がいくら新しい意味や解釈が広まっているとはいえ、出典がはっきりしている言葉の意味を本来の意味とは変えて辞書に載せてはいけません。現代社会は常に変化し続けています。変化に取り残されないためには常に自らをリフレッシュし、創造的革新を図るよう努力しなければなりません。それが本当の意味での「君子豹変」なのです。
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