「肉山脯林」と「酒池肉林」-1

更新日:2014年11月01日

●北京・国家博物館に所蔵される大盂鼎

 古代中国の暴君淫主の典型に、夏の桀王と殷の紂王がいます。どちらも200年以上続いた古代王朝最後の皇帝です。夏は司馬遷に編纂された歴史書『史記』に登場する最古の世襲王朝で、その最後の帝・桀王(名は履癸)は、有施氏の国から貢物として献ぜられた夫人・妹喜を溺愛するべく、玉石・宝石・象牙を散りばめた宮殿を建設し、酒の池に船を浮かべ、「肉山脯林(にくざんほりん)」と呼ばれる肉を山のように盛る豪華な宴会を催しました。また、絹を裂く音を好んだ妹喜のために、国中から高価な絹画を掻き集めたご乱行は、「裂帛の響き」と言われました。桀王は徳を修めず、政治を省みず、贅沢三昧のこのような生活を過ごしたため、民を苦しめ、国庫を窮乏させ、やがて国力は衰えました。そして服属しながらも次第に国力を充実させていった殷の湯王により、ついに桀王は誅殺されたのです。
 もう一人の暴君、殷王朝最後の天子・紂王(BC約1100年)は、やはり謝罪の貢ぎ物で、絶世の美女の寵姫・妲己(だつき)の歓心を買うため、言われるがままに日夜酒色に耽り、夏の桀王同様、民を虐げました。『史記 殷本紀』に記された「酒池肉林」は、「以酒為池、懸肉為林」が出典で、
  「酒を以て池と為し、肉を懸けて林と為し、男女をして裸にして其の間に相遂わしめ、長夜の飲を為す」
という故事として残っています。殷の紂王は、西伯はじめ忠義のひとびとの諫め「殷鑒遠からず、夏后の世に在り」を聞き入れず、豪華絢爛な宮殿園池を作らせ、酒を煽り、肉を貪り、その忘我で奢侈的生活を過ごしたため、たちまち国庫を窮乏させ、人心の離反を招き、ついにBC約1027年、周の武王擁する「紂王征伐の兵」により滅亡を招きました。
 次号ではその謎について後世にどのように解き明かされたのかなど、お話ししたいと思います。

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