「肉山脯林」と「酒池肉林」-2

更新日:2014年11月17日

●大盂鼎と拓本

 陳舜臣著「小説十八史略」に描かれたように、妲己は、周の宰相・周公旦が放った刺客で、殷の紂王は見事に周の策略にはまった訳です。

 これら故事の立証についてですが、甲骨の出土によって紂王の実在は確認されましたが、夏王朝は実在自体が確認されていないことから、非道の限りを尽くして自滅したという筋書きや、桀王と紂王、妹喜と妲己の類似性などから、ともに同一人物ではないかという説が有力です。また、清朝道光 (1821〜50)の初め、陵西省都縣禮村より出土した西周時代前期の極めて大きな青銅鼎「大盂鼎」にある銘文(19行、291文字)には、

  丕顯文王受天有大令 大いに顕かなる文王天の有する大令受けられ

とあります。「周の文王はその徳により天命を授かり、周王になった」という意味ですが、王朝創始者を美化するため、前王朝最後の皇帝を悪く書くのは当然のことでしょう。
 いずれにしても、夏の桀王の「肉山脯林」と殷の紂王の「酒池肉林」は、紀元前一世紀に書かれた『史記』に記述された言葉ですが、その遥か前の時代に作られた「大盂鼎」に、もうすでにその内容が刻されていたことが、史実を伝承する同時代資料の恐ろしさと言えるでしょう。

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