兵-1

更新日:2016年08月01日
『史記 伯夷列伝』と『春秋左伝』と國立公文書館蔵「伯夷と叔斉の諫言図」
 以前、『史記 伯夷列伝』を通して殷周交代期(前1100頃)に悲劇的な生涯を遂げた伯夷と叔斉の賢人兄弟をご紹介しました。司馬遷がこの古事において「「天道是非」という考えを説いたのですが、殷・紂王討伐に向かう周・武王を諫めようとした伯夷兄弟の主張に対し、これを受け入れようとはしない討伐したい発の側近たちが、
  「左右欲兵之  左右これを兵(う)たんと欲す」
と兵刃で殺そうとしました。
 そのとき宰相の太公望呂尚が「二人は義人である」と宥め、危機を乗り越えることになったのですが、後に清節を守った二人は儒教の聖人として崇められました。この「兵(う)たん」の「兵」字こそ、戦争や軍事における「兵」の字源に最も近い使い方であると言えます。
 同じように、『春秋左伝 隠公4年』は、
  「兵猶火 兵は猶ほ火のごとし」
戦争は火のようなもので、早く始末をつけないと自分を滅ぼすことがあるとしています。そして『史記 趙奢列伝』は、
  「兵死地也 兵は死地なり」
戦争は命を失う危険な場所である
と、「兵」字は武器としての意味に使われています。
 また、『孫子』)は、
  「兵者詭道也 兵は詭道なり」
さらに『三国志』魏書・郭嘉伝は、
  「兵貴神速 兵は神速を貴ぶ」
と、こちらは兵や兵法、また戦術の意として使われています。
 「兵」の字源は「斤(おの)」+「廾(両手をそろえた様)」、つまり斧(武器)を両手で持つ様を意味します。古代中国において「兵」は戦争を「兵士」、戦争に使う「兵器」、戦争の仕方は「兵法」だった訳です。
 次号では、日本で「兵」の字が使われた経緯と、中国での使い方の違いについてご紹介します。
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