兵-2

更新日:2016年08月15日
毛越寺南大門跡にある松尾芭蕉句碑(宝暦7年・1757)
 さて、我が国の代表的な「兵」例を挙げると、誰もが知っている松尾芭蕉の
  「夏草や兵どもが夢の跡」
が挙げられます。平泉(現・岩手県平泉町)で長く栄えた奥州藤原氏が滅び、英雄源義経もこの地に追われ討ち果てたという感傷の句です。
  芭蕉は「つはもの」に兵士の意味で「兵」字をあてました。この「兵」が近代になって使われたのは「一兵卒」です。一人の兵士「一兵士」ではなく「一兵卒」になったのには理由があります。元々「兵」と「卒」は同義語ですが、役割分担としての「兵」は戦闘要員、「卒」は兵を支援する要員でした。ここから下積みの任務に励む者を比喩的に「兵卒」と呼ぶようになりました。
 中国、漢文の世界では「兵」は武器の意味に用いましたが、兵を兵士として捉えた日本、とくに戦時中の日本では、一等兵、特攻兵、卒は「25人の兵士団という単位になっていました。
 昨年、終戦70周年を迎え、テレビなどで戦争に関連する多くの番組を観ました。戦争という時代を懸命に生き、やがて家族や国の為に短い生涯を捧げた兵士たちを思うに、今この平和な日本だからこそ改めて今月のテーマにした次第です。
←前へ 目次 次へ→