趣味人皇帝-1

更新日:2015年01月01日
164-1徽宗
 古代中国における最高統治者である皇帝は、その個人の力量によって立場を授かったのではなく、あくまで天命により授かったとされる考えがありました。皇宮の玉座は天から授かった権威の象徴であり、その玉座につく皇帝は絶大な権威やその地位に相応しいあらゆる要素を身に付けなければならない使命を持ったのです。古代偉人が残した万感の書物を読み、儒教や道徳、哲学などの修養や学習を通して理想的な文政を実践することで太平世界を実現し、その成果によって天下万民から尊敬される賢帝になれたわけです。
 そんな歴代皇帝のなかでも最も賢帝と呼ばれたのが唐の太宗・李世民です。唐王朝の初代皇帝高祖・李淵を父に持ち、隋末唐初の群雄割拠の時代に武将としての実績を残し、唐の第二代皇帝に即位しました。太宗は側近の魏徴(ぎちょう)に「皇帝である自分に誤りがあれば遠慮なく諫言するよう」と命じ、魏徴も憚ることなく諌めるよう応じたと言われています。側近にも支えられ、善政を行った唐王朝は栄え、その元号から「貞観の治」とさえ呼ばれる最盛期を迎えました。
 しかしそんな唐王朝も、約300年後の907年に滅び、そこから約50年間、五代十国という戦乱時代が続きましたが、960年に北宋を興したのが宋の太祖・趙匡胤(ちょうきょういん)です。宋の太祖も非凡なる才能を発揮しました。唐を滅ぼした原因の一つに節度使の地方軍閥化があったため、太祖はこれを反面教師として節度使の権力を抑え、科挙合格者の官僚任命を皇帝自らが行うことで文治政治の中央集権化を図るという政治手腕を発揮しました。
 次号では本号のタイトル「趣味人皇帝」が登場します。お楽しみに。
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