陸游-1

更新日:2024年01月01日
福建省寧徳市にある陸游像
 南宋四大詩人の一人、官途不遇の生涯を送った憂国の士・陸游、現存する詩は約9,200首もあることから、彼の詩を題材として多くの書道家が作品にしてきたと思います。その大部分は晩年作であり、80歳以降だけでも3,000首に上る作品があることは脅威です。唐の李白、杜甫、白居易、韓愈そして北宋の蘇軾と並び、唐宋六大家と称される巨人です。
  陸游[宣和7年10月17日(1125年11月13日)
    〜嘉定2年12月29日(1210年1月26日)]、
    南宋の政治家・詩人で、字は務観、号は放
    翁といい、「陸放翁」の名で呼ばれる。
    越州山陰県(現・浙江省紹興県)出身。
    強硬な対金主戦論者であり、それを直言し
    たため官界では不遇だったが、逆にそれが
    独特の詩風を生んだとされる。29歳のとき
  に科挙進士で主席となるが、次席が時の権
  力者・秦檜の孫・秦★(土+員)であったことから不 
  合格として及第出来ない不運を受けた。 
  しかも科挙及第の資格まで奪われ、エリー 
  トとしての出世の道を完全に断たれた。
 父祖以来の愛国抗戦思想であった陸游は、金の侵略に軟弱外交を繰り返す政府に不満を持ち、人民を救済するべく中原奪還を一貫して主張したため地方左遷の憂き目にあいます。乾道6年(1170)、46歳のときに四川制置使参議官として四川省(蜀)へ赴任しますが、赴任するのに家族とともに五カ月余りをかけて故郷浙江省紹興県の山陰から長江を遡り、四川省奉節県を目指しますが、そのときの紀行文が日記『入蜀記』であり、紀行文中の圧巻とされています。名勝旧跡、季節の風物、そして人びとの営みを豊かな学識と温かい眼で詠まれた内容です。
←前へ 目次 次へ→