「科斗(オタマジャクシ)」-1

更新日:2015年11月01日
三体石経(部分)
 6〜7世紀頃の古代中国で、文字を書く道具として漆を使っていたことは近年の考古学の発掘調査などで明らかになっています。中国全土にある遺跡から出土した木簡、竹簡、漆紙文書、墨書土器などの古代文字資料のなかには、書写材料として用いられた竹や木材に漆で書かれた書体があり、それらを見ると文字の起筆などは頭が大きく、文字が進むにつれて細くなり、まるでオタマジャクシのような造形になっています。
 そこからこの書体を「科斗書」、もしくは「科斗文字」と呼ばれるようになりました。オタマジャクシを漢字で「御玉杓子」と書くと料理道具「おたま」になりますが、「科斗(かと)」や「蝌蚪(かと)」と書くとカエルの幼生を意味します。余談ですが、「蟇蛙」や「蟾蜍蛙」はヒキガエル、「蝦蟇蛙」はガマガエル、「疣蛙」はイボガエルです。
 科斗文字には諸説あって、角川『新字源』では、
「漢代に発見された竹簡に書かれた」
とあり、『大漢和辞典』では
「竹簡に漆書した古文尚書・古文孝経の文」
とあります。
 中国で初めに漢字を発明したと言われる神話の人物・蒼頡が、天の動き、地を歩む鳥の足跡などを基につくった「古文篆」が、後に装飾されたもの定義する説もあります。
 また、『莊子・秋水』の陸徳明音義に「科斗、蝦蟇子也」ともあり、ここで科斗が登場しますが、やはりオタマジャクシに似ているというのは古今東西、共通の認識のようです。
 次号では科斗文字が後にどのような変遷を経て、どのような新たな書体になっていったのかについてご紹介したいと思います。
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