義姉妹- 2

更新日:2017年05月15日
筆者が10年前に訪れた滄浪亭
 しかし、科挙に合格した士大夫でないため、史実で確認しようがない沈稼夫・沈復親子ですが、「浮生六記」の冒頭に、
  余生乾隆癸未冬………、正値太平盛世、且在衣冠之家、后蘇州滄浪亭畔
とあることから、沈復は乾骼梠繧ノ蘇州で生まれ、幼馴染みの妻・陳芸(1763〜1804)との新婚時代は蘇州・滄浪亭のほとりで過ごしたことが確認されています。
 本書は元々、「閨房記楽」「閑情記趣」「坎★(土編+可)記愁」「浪遊記快」「中山記歴」「養生記逍」の六篇でしたが、発見当時、すでに「中山記歴」「養生記逍」は亡失しており、現存は四篇のみとなっています。
 その内容は日常生活や絵・趣味・旅行の楽しさなどを著しているのですが、とくに「閨房記楽」と「閑情記趣」では20年連れ添った亡き妻、陳芸(字は淑珍)への追憶をモチーフに、愛のみに生きた下層読書人の生活を如実に描いており、士大夫を中心に発展した中国文学、小説の世界に於いて、私事をあからさまに小説として書くことは禁忌とも言えますが、文章が淡々とした自然体で明朗、つい読者の微笑を誘う珠玉の名作と評価されています。
 さて、義姉妹に話を戻します。主人公、陳芸は知性的で、芸も劣らぬ詩性審美の才媛であったと言われていますが、昔、刺繍を一緒に習っていた女性・★(敢の下に心)園と「義姉妹」の盟を結びました。揚州で過ごした頃、幕僚吏の沈復は酒業を生業とし、得意の書画を売っても家計が窮迫しました。陳芸自身も重い病気になったため、沈復・陳芸夫妻ともどもこの義姉の元で何ヶ月も逗留して病を癒しました。
 今の世の中で清貧思想とも言える「安貧樂道」を実践するのは難しいでしょうが、沈復・陳芸夫妻のような倹約生活を送りつつお互いを思いやる哀切感に溢れた私小説は、吉川幸次郎、谷崎潤一郎も高く評価しました。
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